古寺をゆく!

中山法華経寺

       


中山法華経寺

「黒門」



「大仏」 「五重塔」



「節分会」



祖師堂内の様子でございます

中山法華経寺さま♪
画像を使わせていただきました ありがとうございます

節分会って?
節分会(せつぶんえ)は、正式には「節分追儺(ついな)」、別名を星まつりと言います。
星まつりというと、たなばたのロマンチックなムードを連想してしまいますが、
九曜星という占いによって、その年悪い星(厄年)にあたる人(これを年男・年女と呼びます)は、
その星をまつることで災厄をまぬかれ幸運を得るという、いわば厄除けのための儀式です。

年男・年女は志納金と祈祷料を納めれば、星まつりに参加でき、豆をまく側にまわれるそうです







遠壽院

「荒行堂」







日蓮宗の荒行について・・・
日蓮聖人は比叡山で十二年間の勉学の時に、京都・奈良・大阪・高野山を回り、
真言や天台密教を会得されて、独自の祈祷法を編み出された。

荒行の歴史は・・・
鎌倉時代末、日像上人が鎌倉の海で寒中の百日間、水ごりを取って修行された事に始まる。

日像上人の時、後醍醐天皇により京都・妙顕寺が「天皇家勅願寺」になった。

その後、大覚上人は京都が大旱魃で苦しんでいた時、勅命により祈雨の祈祷をし、人々を救った。

室町時代中期、朝廷の祭祀の代表者であった吉田兼具が、三十番神は、日蓮聖人が吉田神道より相伝を受けた、
正当なものである事を認めた為、妙顕寺より全国の日蓮宗寺院に広まって行った。

江戸時代、身延では積善房日閑上人が七面山で百日間の荒行を積んだ後、病人を祈祷して、
多くの人々を救った、この流派を「身延・積善房流」と言う。

同じ頃、中山では遠寿院日久上人が、七面山で修行し、中山流と身延流の交流をはかった。
中山には遠寿院流と共に、智泉院流も創られた。

現在、中山・法華経寺には身延・積善房流の荒行が、三十数年前にもたらされ、
また法華経寺塔中寺院の遠寿院では、昔からの荒行が伝えられている。

日蓮宗の百日間・大荒行は、十一月一日より二月十日までで、一日の睡眠時間は、
三時間程であり、朝夕二食のお粥と味噌汁で空腹をしのぎ、読経と書写行に明け暮れ、
炊事・洗濯・掃除も分担して行う。


荒行については静照寺・ご住職 エオウ様より御伺い致しました。 ありがとうございます


参道のお仏壇やさんで見つけました♪