古寺をゆく

妙顕寺
妙蓮寺




妙顕寺





室町時代・叡山の襲撃によって、妙顕寺が破壊されたが、
足利義満の取り成しによって、
三条坊門堀川に「妙本寺」という名前で再建された。

しかし二十年後には、また叡山により破壊された。
もとの妙顕寺があった場所には「立本寺」が建立された。

信長の叡山焼き討ちで勢力が弱まり、
豊臣秀吉が京都の区画整理したので、
現在地に立派に再建する事ができた。












14歳の時に日蓮聖人から、京都布教の遺命を受けた日像上人が、
25歳で上洛し多くの法難に耐え、58歳で建立する事が出来た、
日蓮宗の京都で最初の寺院です。

 その後、後醍醐天皇によって「勅願寺」となり、日蓮宗の地位が確立されると共に、
京都布教の拠点となりました。

 境内に「日蓮・日朗・日像」を菩薩として、おまつりした
「三菩薩堂」は、独特の建築様式があります。

 この三人を菩薩としたのは、摂政・近衛経忠の子で、
妙顕寺第二世・大覚妙実上人の時に、
京都雨乞い祈祷の功績によって、日蓮聖人に「大菩薩」、
日朗・日像上人に「菩薩」の号を、天皇から賜ったからであります。

 御真骨堂には、三人の遺骨が納められており、また
墓地には、尾方光琳ら著名人が眠っています。
















妙蓮寺
  




「本門法華宗」は、日像上人が開いた妙法蓮華寺を始まりとし、
日蓮宗から分かれた派祖が日隆上人です。

 日隆上人は妙顕寺で学ぶが、路線問題で対立があり、
改革派の離脱を期に、諸国を布教し、後に本能寺や
本興寺を建立する一方、「八品派」の教義を立てました。











お釈迦様のお姿とか・・
秀吉が寄進されたとか・・・

お会式桜です

2002.10.10 撮影




2003年10月のお会式桜です