比叡山・横川

定光院



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日蓮聖人は比叡山に12年間遊学し、天台宗本来の依経である 法華経からその真髄を見出すに至る。
遊学の地・横川(よかわ)には今も 日蓮聖人ゆかりの定光院(じょうこういん)があり、
ここで修行した若き日の日蓮聖人、学僧蓮長の姿を偲ばせる




中興の祖・元三大師の御廟がある谷を「華芳谷」といい、
定光坊(現・定光院)はその一隅に位置する。
比叡山三魔所の1つとして恐れられてきた。

今に昔の面影を留める。


深山幽渓の地は積雪に悩まされ、
魔所と云われた環境が災いしたともいえる。

隆盛と衰微を繰り返し・・・
大正14年、祖師生誕700年を記念し
河合日辰上人の法弟が聖人像の建立を発願。
宗門・壇信徒が協力して立正安国像が完成した。



2004年には新築されるらしく
この樹齢何年?かの大木も
切られる運命だとか・・・







清澄・旭ヶ森の日蓮聖人

建長5年4月28日、日蓮聖人32歳の時。

比叡山・京都・奈良・高野山で12年間の勉学を終え、
故郷の千葉県小湊・清澄寺に帰られました。

蓮長法師(日蓮の幼名)は・・・
旭ヶ森に登り 遥か海原から昇る太陽に向かって、
初めて
「南無妙法蓮華経」と、お題目を唱えられました。

この時に「日蓮宗創立」の第一声を、天地宇宙に宣言されたのであり、
名前も「日蓮」と改められたのでした。




旭が森の日蓮聖人像






法華経守護の諸天善神
御示現對面之霊跡 蓮長法師

三十番神御寳前


三十番神の由来

 信仰の起源は、伝教大師が比叡山に国中の神々を勧請し、
仏法弘通を願ったのが始まりだそうです。

 その後一ヶ月三十日に配当し、一日の当番神を現して
国家と国民の安泰を祈られたのだそうです。


横川の神々は 慈覚大師が顕現されたそうな。

日蓮聖人の場合、三十番神が現れて 修行を助けたと言う。
日蓮宗では法華経を守護する善神に敬い、
鬼子母神の信仰と併せて盛んになったそうです。






龍口法難

文永8年9月12日。日蓮聖人50歳の時。

雨乞いの法力比べに負けた念仏僧・良観は…
日蓮聖人を亡き者にしようと、鎌倉幕府の役人・念仏者の頼綱と密かに企んだ。

冤罪をつくり 日蓮聖人を逮捕し、
江ノ島にあった「龍の口処刑場」へと、引き立てて行きました。

途中…鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮の前でのこと。
日蓮聖人は

「法華経の行者を守るという神仏の約束を、今こそ果たせ!」
と、叫びました。

処刑場で静かに座った日蓮聖人。
合掌し
「南無妙法蓮華経」と唱える中、首を切ろうと刀を振りかざした瞬間。

雷も鳴っていないのに…一瞬に飛び来たる稲妻 。
その刀が3つに折れ …倒れてしまった処刑人。

大勢の武士達も驚いて逃げ去ってしまったので、殺害できなくなってしまった…。

その代わりに佐渡へ島流しとなられたのでした。




床の間に飾られてました
六地蔵様?
お香を焚くというおもてなしに感激♪

お寺で頂いた「蓮華香」
とっても良い香りがします♪